悟り系にっき。

あんまり力入れすぎないでゆるく思ったこと書く✌️

退職にあたり

(※だいぶ抽象的)

数ヶ月間いた職場を離れることに。

思っていたよりもだいぶ、環境とか人間関係の面できつかったんだなー。終わって実感してる。

その渦中にいる時は、それこそ目の前のことに追われて、自分がどういう状態で何が嫌で誰が好きで誰が苦手でとかあまり意識して考えられなかった。表面上ではうまくやれていた。みんなと仲良く、明るく。ただ、自分で自分の本音もわからず、騙し騙し。全部、終わってから気づく。

 

好きか嫌いかよくわからなかったあの人のことも、あーやっぱり好きじゃなかったんだなあ、と自分の気持ちがわかった。好きなふりして過ごしてたんだ。だから誤解されたりしたりしてたんだ。だから勝手に期待されて勝手に失望されてたんだ。こういうの、よくあって、案の定今回も。

 

忙しいから、機嫌が悪いから今はこういう態度でも仕方ないよね?あ、落ち着いたから今は明るく話せるよ、みたいな人に振り回されすぎて自分の細胞が少しずつ毎日死んでいくような感覚。あ、ふうん。仕方ないよね、あなたにもあなたの事情があるよね。まあわたしは変わらないでにこにこしていますよ♪ にも限界がくるよ。

モヤっとすることあるけどまあ楽しいからいいや、じゃなくて、自分が心から大事にされている、正しく評価されている、都合よく消費されているのではなく本当に必要とされている、そういうのって、本当に、本当に、大事なのでは?少なくともわたしは、ようやく最近、そうやって冷静に人を見れるようになって、、、は、まだまだいないけど、訓練中です。

 

退職日、自分おつかれさますぎる、、といただいた花束をインスタストーリーに載せました。何人かからの「おつかれさま」等のコメントに、それだけで(と言ったらあれだけど)ガチで泣きました。あー、思ったよりもちゃんとおつかれだったんだな〜とわかったね。ちゃんと見ていてくれる人、気にかけてくれる人がいるというありがたい事実。

2022.2023

 

人間ってのは こんなにも人に生かされも殺されもする生き物なんだなと実感した1年でした。

人間というか、自分がかもしれないけど。

 

楽しいことも嬉しいこともたくさんあった一方で

総合的には心身共にぼろぼろだったなあ〜

もう二度と こんな辛い日々は送りたくない。

 

特定の人に関することで何度も何度もどん底に落ちていたわけだけど

そのたびにいろんな人がいろんな言葉で、行動で、助けてくれた。

自分がつらいときに助けてくれた人のことは

生涯覚えてるんだろうな。忘れないんだろうな。

 

本当に暗かったので

2022年のわたしはなんというか、

全然魅力的な人になれなかった。

常に思考が一定で、視野が狭くて、無気力だった。

 

このままでは本当にやばいと焦って

2023年からは、と意気込んでいたけど

すこし早く、12月からはなんだかほんとうに

「晴れた」気がします

楽しいです。

いろんなことを考えて、その時々の興味の赴くままに動いてる。

 

いろんな人と話すことといろんな本を読むことは人生を豊かにしてくれるとずっと信じてるけど、

 

人に関しては、人が好きでいろんな人と会うけど

わたしを悩ませるのもいつも人だから

距離感はかなり繊細に意識してる。

逐一立ち止まる。

このままでいいのか、これ以上先にいっていいのか、引くべきなのか。

本当に好きな人たちと優先的に会ったり連絡したりするようにした。

惰性でつながってるだけの関係も、その場を保つためだけの生産性のない会話する時間もない。

 

でも自分が常に選ぶ立場と思うのは傲慢ですな。わたしも誰かにいつも取捨選択されてるんだという意識は持っとこう〜

期待せずにさ、ゆるくがいいよやっぱり。

追うのも追い縋られるのもすきじゃない。

 

 

底に落ちたら、あとは上がるだけだから

たぶんいろんな面で自分もレベルアップしてくれるんじゃないかと期待してる。

たのむよ来年は。

 

日記に書きたくなるような毎日がいいな。

.

 

(今の思いさらさらと。)

 


大学生のとき、よく

「どこにいるのかわからない」と言われていた。

 


無茶な計画で旅行に行きまくって(広島、韓国、台湾をぶっ続けとか)現在地がわからない人ってことだと思う

 


最近ではクラゲって言われる笑

ふらふらしてるから、らしい。

 


そんな人だったのに

もう4年近くも地元にいる。実家にいる。

 


最初の1年は、韓国で働く資金を貯めるため。

けどコロナでとりあえずまた1年延期。

そうこうしてる間に

ここにいるのが楽でもあり、いろんな出会いが楽しくもあり、毎日なんとなく過ごしてる間に、いつのまにか最初の目的が薄れていった。

 


ある人と出会ったことで それがまた別の人や仕事、よく行くお店などへと繋がって

そうして流されるがまま。

楽しかった。

いろんな人と出会うこと。だんだん知り合いが増えていくこと。常連枠で入れるお店が増えていくこと。

地元でのゆるいつながり。

偶然からの、無計画な生活。

このままでいっかあ、なんて。だらだらと。

 


人生の転機って

何か大きなことに失敗したり傷ついたりしたときに起こるってよく聞く。

 


もういいやって、思った。

もう充分だなと思った。

執着も未練も後悔も

そういうの全部、おわった。

必死に手元に残しておこうとしがみついていたもの、いま失っても。

 


決定的な何かがあったわけじゃないけど

いままでの積み重ね。

このままだと自分をどんどん不幸にしていく

まわりも。

 


これは再スタートということでいいのか

 


流されたんじゃなくて自分で決めた。

新しいことを始めるのも終わりにしたいことを終わらせるのも。

 


とても勢いだけど自分を守るため

久しぶりの行動力を発揮してる

このまま

 

大学時代、都会で少しだけアルバイトをしていた。

そこのオフィス(?)は常にノリノリの音楽がガンガンかかっていて、準備にしろ片付けにしろ テンション高く明るくいこうぜ!仕事は全力で必死にやるんだぜ!というかなり体育会のノリが強いられるところだった。

 

一緒に働いた人たちは本当に楽しい人たちばかりで人間関係に不満はなかったけど、その体育会系のノリがどうしても合わなくて。

みんなと仲良くするのは好きだけど 仕事は淡々とこなしたい、無理やりテンションあげるのはちょっと意味わからん、疲れたら疲れたって言っていいじゃん。と生意気にもその空気に同調することはしなかった。

 

けど一方で、

でもなあ、みんな好きだしなあ、うまくやっていくには自分を変えなきゃなのかなあ、、

と悩んでもいた。

 

そんなとき、新しく仕事を教わることになったNさんと出会った。10歳くらい年上の男性。

 

一見静かなのだけど ユーモアがあって言葉のセンスがよく、わたしの好きな韓国の歌や付箋だらけの本にも興味を持ってくれた。

リーダーシップ抜群でとても仕事ができる人だったので、話す内容にも説得力があり、仕事のことやそれ以外でも とにかく悩んだらすぐに相談していた。

 

あるとき、Nさんが唐突にこんなことを言ってくれた。

 

「(わたしの名前)ちゃんはそこらへんの大学生とは違う。なんも気にしてませんって顔してすごい人のこと見てるしわかってるし、たまに世の中の幸も不幸も全部見てきた目をするよね。そういうギラギラしてない姿勢が魅力だと思うよ、そのままでいいんだよ」

 

そのときわたしはまさに会社のノリが合わず悩んでいたときで。

 

いろんな人からもっと上を望まれて 変わらなきゃいけないのか、大人にならなきゃいけないのかと思っていたときだったから

このままでいい、このままがいいと言ってくれたことが、震えるほど嬉しかった。

 

Nさんはこれ以外の場面でも、いつでも肯定してくれて たくさんあたたかい言葉をかけてくれた。

その存在にどれだけ救われたことか。本当に頼りにしていた。尊敬していた。

 

 

それからというものの、明るくていいね、いつも笑ってるねというようなことを言われると どうしようもない違和感を覚えるようになった。

 

自分が見られたいように振る舞っていて、相手はそれをそのまま評価してくれただけなのに、わかってないなあと悲しくなった。(勝手なのは承知です)

 

だから逆に、がんばってないときの自分、実はけっこう冷めている自分を見つけてくれて あえてそこを褒めてくれる人に出会うとすぐに心を開く。なんでもしてあげたくなる。

自分のことをちゃんと見てくれていた、というのが嬉しいんだと思う。

 

わたしも人の本質がわかる人になりたいです

 

 

多面性について

 

浅倉秋成さんの「六人の嘘つきな大学生」を読んで、衝撃を受けた。

ミステリー小説だから、事件が起こって犯人はまさかのあの人でっていう路線でももちろん最高。

でもそこに含まれた「人間の多面性」というテーマ(と勝手に思ってる)に号泣した。

「犬を拾ったからいい人。信号無視をしたから悪い人。一面だけを見て人を判断することほど、愚かなことはきっとないのだ。」という文があるけど、まさにそうだなと。

 

瞬間的に切り取られた一つの場面だけを見たり聞いたりして、その人のことを判断してしまうことがある。

そこで勝手に、いい人だと思ったり 逆に失望したり。

全てをポジティブに解釈できたらハッピーだけど やっぱりそうはいかないもので

 

一部分だけを見て、どうして分かった気になるんだろう。

そして その背景や意味を理解できずすれ違ったまま、勝手に失望したり傷ついたり。

あの人はなぜあんなことを言うのだろう、なぜあんなことをしたのだろう、と回収されない伏線を残したまま、永遠に離れてしまうこともある。

 

これは何も 対よく知らない人に限ったことではなくて 十分な信頼関係が築けていても起こり得る話だなと思う。

人それぞれ人生があって どんなことに傷ついてどんなことに悲しくなってどんなことをしたら嬉しいのか 何に幸せを感じるのか 聞いても聞いても足りないくらいだと思うから。

 

知れば知るほど見えてくる こんな一面もあったのか、がポジティブな発見になればいいけど そうならなかったとき。

まあ いちいちその人の言動の背景に思いを馳せるなんて無理なので。こちらの気分や健康状態によっては 悪い受け取り方をしてしまうこともある。で、軽く失望。でもそれが積み重なったら?

すごく悲しい世界だなと思う。

 

あれはなんだったんだろう、って謎が解けずに終わった場面や関係、あるなあ と振り返る。

逆もまた然り、なんだろな。あらぬ誤解をうんだまま ある発言、ある行動だけを切り取ってわたしから離れていった人、いるもんな。(遠い目)

 

King Gnuの「カメレオン」という曲について、

メンバーの常田さんがある記事で

「私たちは怠惰な生き物ですので、ある一面で判断してわかった気になってしまいがちなのですが、そこで零れ落ちた側面もまた、その人の大事な大事な真実だったりもするのです。人間という複雑な生き物を、諦めず理解しようと向き合い続けるそこに愛があるのではと思いこの曲を書き下ろしました。」

とおっしゃっていて共感。もはや同じことおもってる(大変恐縮ですが)

 

その人がどんな思いでその言動をとるのかなんて本当にわからないことで

知らなくていいことかもしれないし 本心とは裏腹に 見せたいように見せてるのかもしれないけど

やっぱり すれ違って無駄な衝突や別れとなるのだけは

本当に本当に、できることならなければいい。

 

 

気持ちを表現すること

 

自分の思っていることを的確に伝えるって、本当に難しいと思う。

考えすぎだよ適当でいいじゃん、と言われるし自分でも思わなくもないけど、適当がわからない。自分の言葉には責任を取りたい。

適当に放った言葉が思考とかけ離れていることに気づいて悲しくなるのがいやだ。なんか違う、と取り消して言い直したくなる。

できることなら 言いたいことは何の誤差なくそのまま相手に伝えたい。

 

お礼言ったり謝ったり、

相手のいいなと思ったこと言ったり

おすすめされた本を読んだと報告したり、

喜んでくれそうな情報があれば教えたり、

そういうことなら、たぶん人一倍(?)言えるのに。

雑談も軽いノリの会話もいいかんじで気を抜いた返答ができるのに。

 


わたしが難しいと思うのは、特に 映画や本の感想や何かにたいしての意見をその場で言うことと、自分の気持ちを論理的に説明することで。

 


後者に関して、最近のことでいえば、ある人に対して 自分の言いたいことをまともに整理しないまま、感情的になって気持ちをぶつけてしまう場面があった。

嘘偽りない言葉ではあったけど、あとから考えて 言いたかったことの本質はそこではなかったことに気づいた。本当に言いたいことを底に閉まったまま、表面的な気持ちだけ何層も重ねて言ったみたいな。

自分でも何が言いたいかうまく説明できないのに ただこの感情だけをわかってほしい、ってなんて幼稚なんだろうと思ったし、中途半端な言葉の羅列で ただ相手を批判するみたいになってしまったことに申し訳なく思った。ちがうのに。

 


「마음속에서 입까지 그 거리가 세상에서 제일 멀어」 (心から口までのその距離が世界で1番遠い)って文をどこかで見て以来ずっと覚えてるけど、まさにその通りだなって思う。

 


誤解を生みたくなくて、自分の意図を100%そのままわかってほしくて、だから伝えることは難しいと思ってた。

でもあらためて理解した。

それは、ほぼ、不可能なこと。

当たり前だけど人間はみんな違うんだから、どんなに最善を尽くしても誤解が生じることは避けられない。相手によって受け取り方は変わるしね。

人と人は分かり合えないことを前提に、時には諦めることも必要で。逆に、伝えないということも意思表示の1つなのかなとも思う。自分の思いを全て吐き出せたら楽だけど、中途半端になるくらいだったら いっそのこと自分の中に閉まっておく。言うべきタイミングと言ってはいけないタイミングがある。そうやって折り合いをつけるしかないんだな。

※ここでなぜか여자친구の밤の歌詞を思い出しました。”이제 보내줄게 아냐 아직은 너를 내 방에 몰래몰래 간직하고 싶은 밤” (あなたを手放す、いやこっそり閉まっておく)

 


別にあれもこれも伝えなきゃ!と常に鼻息荒くしてる熱血な人間でもないですが

自分の気持ちを相手に伝えるって、大事なコミュニケーション能力の1つだよね、と思ったので。できることならうまくやりたいなって。わたしの永遠の課題。